取手の無痛整体院やすらぎ 院長プロフィール
取手の無痛整体院やすらぎでは、あなたとの信頼関係を大切に考えています。
あなたと一緒に症状の原因を探しながら、治癒への道のりを私が責任をもって全力でサポートさせて
いただきます。
簡単ではありますが、正直に自分自身について書いてみたいと思います。
取手の無痛整体院やすらぎ 院長
伊比 明夫(いび あきお)
1965年 神奈川県生まれ
城西大学卒業
- 操体法の今昭宏先生、上川名修先生、加藤廣直先生に師事
- 仙台操体医学院卒業
- 柔道整復師(国家資格)
- ナショナル整体学院卒業
- 日本コアコンディショニング協会
コアコンディショニングパーソナルトレーナー - 日本光線療法協会会員
- 内臓トレーニング協会会員
- NPO法人 日本予防医学未病研究会会員
操体法との出会いが私をかえた
私は整体院や整骨院での主任経験、整形外科での修業を終え、40歳の時に独立することを決心しました。
千葉県の我孫子市に「かえる整骨院」を開業し、おかげ様で開院当初からたくさんのお客様に恵まれ、ご近所の方はもちろんのこと、遠方からもたくさんのお客様に通っていただけるようになりました。本当にありがたいことだと思っています。
整骨院は順調だったのですが、今まで院長の指示のもとに治療してきたところから、今度は自分の考えのもとに、どうやったらお客様の痛みを、早期に回復することが出来るのかを考えるようになりました。
よりレベルの高い技術を身につけるためには、現状に満足していてはダメだと思い、日々勉強を重ね、より一層の技術の向上に励みたいという思いから、いろいろなセミナーに出るようになりました。
そしていろいろ勉強していく中で、私は今までの施術の重大な間違いに気がついたのです。
そして、私が今まで行なってきた施術が間違えだったことに気づいたときに、ハンマーで頭を殴られたような衝撃を受け、それまでに施術してきたお客様に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
それは、痛い整体・マッサージは逆効果であるということです。
人間には自己防衛の本能があり、強い刺激(例:押す、揉む、叩く等)に対しては筋肉を固めて防御しようとします。それに対して、より強い力で刺激を加えたら痛いだけです。
日本人は、少しくらい痛い刺激というか、痛気持ちいい方が効くんじゃないかと思う人もいると思いますが、そうではありません。
逆に強い刺激を避け、身体に無理のかからない動かし方、接触の仕方をすれば、身体は一瞬の緊張後弛緩するのです。
そういったことが操体法と出会うことにより、今までの自分の施術を見直すきっかけとなりました。
そして、痛い施術をやめ無痛整体(操体法)を取り入れることによって、いままで治らなかった症状や長期間要していた症状が、短期間で回復させることができるようになりました。
いままで痛くて辛い施術を行っていたのが、今度はやさしくて気持ちのいい施術を行なうことで、お客様の喜ぶ顔を見ているうちに、自分が理想とする施術を行う整体院を新しく開業する夢が、具体的に膨らんできました。
それは、自分自身がもっとも受けたい施術、こんな整体院があったらいいなというイメージを実現することでした。
開業するにあたっては、どこにでもあるような整体院ではなく、自分の理想とする整体院を創ろうと考え、開業した現在もいろいろな勉強会やセミナーに参加したり、私の整体院でも月に1回、卒業生を集めて勉強会を私が講師となって開いています。
お客様からも気軽にお店に対しての要望を伺い、よりよい整体院づくりに取り組んでいます。
取手の無痛整体院やすらぎには、そんなこだわりがたくさん詰まった整体院です。
取手の無痛整体院やすらぎ 院長の経歴
1965年に神奈川県は川崎市百合ヶ丘というところで生まれ、小学4年生までそこで過ごし、5年生から茨城県の取手市に引っ越してきました。
私は先天的に心臓に軽い疾患があり、小学生くらいまで大きな病院で何度か精密検査を受けたのを覚えています。結果はたいしたことはなかったと思いますが、激しい運動は控えるように言われました。
しかし、うちの母は逆に丈夫な子に育てようと幼稚園の頃から、スイミングスクールに通わせたり、野球教室に通わせたりしてくれました。
母のおかげもあり、その後小学校から高校までの内科検診では、必ず心臓で再検査になっておりましたが、特に心配することはなく、風邪も引かない健康で丈夫な体になりました。
これも、母のおかげと感謝しております。
小学校では市の水泳大会のアンカー、ミニバスケットではキャプテンを任され、中学では野球、高校ではこの身長(185cm)を活かしてバレー部に所属し、スポーツに明け暮れていました。
その頃思っていたのは、将来体育の先生になって、子どもたちにスポーツを通じていろいろなことを教えてあげられたらいいなと考えていました。
しかし、授業中は良く居眠りをしているような生徒だったので、勉強の方はさっぱりでした。(笑)
また、大学3年生の時に税理士になりたいと思い、大学に通いながら税理士になるための専門学校に通っていました。いわゆるダブルスクールというやつです。(このころが一番勉強していたと思います。)
大学卒業後も会計事務所に勤めながら、専門学校に通い続け、相続税法という科目に合格することはできたものの、残りの科目はなかなか合格することが出来ずに、志なかばで税理士の道を諦めてしまいました。
いま思うと、大学や専門学校に通わせてもらった親には、かなり迷惑をかけたと思っています。
治療家への道
その後、サラリーマンを経験したのですが、慣れない仕事を無理して頑張っていたせいか、ストレスで体調を崩してしまいました。
ストレスで体調を崩したこともあり、もともと自分の体が強い方ではなかったことや、体育の先生になりたかったことなど、自分の使命はなんなのか、一生続けられる仕事はなんなのかを考えるようになりました。
そして、徐々に直接人を癒す仕事をしたいという気持ちが高まり、整体の学校に入学しました。
そこでは、骨格構造の歪みと症状の関係など、手技を中心とした実践的なテクニックを学びました。
卒業した後は整体院で働いていましたが、そこでは検査をして、身体がこういう歪み方をしていたらこう治す、みたいなことで症状をとっていましたが、その時の私は医学的なことや、整形外科学、生理学、神経学などはよく分かっておらず、パターンとして症状を理解して施術していました。
なんとなく、このままではいけないと感じているところに、私の人生の転機のきっかけとなる先生と出会い、国家資格である柔道整復師の資格を取ることをすすめていただきました。
すぐに専門学校に受験するための勉強を開始し、なんとか入学することが出来ました。そこでは、基礎医学、整形外科学、解剖学、生理学、神経学、病理学などを学びました。
そして、運動生理学、神経の働き、骨折、脱臼、捻挫の専門技術などをしっかり身につけました。
在学中から整骨院に就職し、臨床経験を積みました。実際にお客様を診ることの大変さ、教科書通りにはいかない難しさを感じました。
しかし、主任となり院長先生から施術を任せられるようになって、自分の施術によってお客様の辛い症状を、改善することが出来るようになったとき、本当にこの仕事を選んで良かったと心から思いました。
「楽になったわ」「痛くなくなったよ」「ありがとう」そういった言葉をいただけたとき、この仕事をしているやりがいを感じます。
父の死
国家試験に合格し、卒業後は整形外科で将来開業するために臨床を積んでいました。
そんな矢先、父をガンで亡くしてしまいました。
父はサラリーマンで営業の仕事をしていましたが、ほとんど毎日接待で帰宅は深夜になることも度々でした。ヘビースモーカーでお酒も飲み、脂っこい食事や甘いものも大好きで、当然ストレスもかかっていたでしょう。
いま思うとこういった生活が父の身体を蝕んでいったのだと思います。
厳しい父でしたが、私は役員にまでなった父を尊敬していましたし、父に認めてもらいたい、そしていつかは父を追い越したいと思っていました。
しかし私は父の異変に気づかず、何もしてあげられず、家族に見守られる中、病院で息をひきとりました。
もっと早く父の異変に気づいてあげられていたら、と残念な気持ちでいっぱいでした。
その時、父の闘病と死、そして看病する母の姿を見て、私は病を抱える人やその家族のために少しでも役に立ちたい、それと人生はいつまで続くかわからない、だから毎日を悔いのないよう精一杯生きようと思うようになりました。
そして、痛みに苦しむ人の役に立ちたいという思いから、まだ開業資金は貯まっていませんでしたが、借金をして開業することを決意しました。
かえる整骨院
いままでの接骨院の暗いイメージを変えたくて、あえて名前も地名や自分の名前を使うことはしませんでした。
私が小さい頃、通ったことのある接骨院は、白と黒のモノトーンでいかにも病院といった感じでした。
それが嫌で、内装もオレンジを基調として、看板にもかえるのイラストを入れて、明るい雰囲気にしました。
来院したときは、痛みで辛い思いをされている方でも、帰る時には少しでも元気になって帰ってもらいたいと思い「かえる整骨院」と名づけました。
おかげ様で、開院当初からたくさんのお客様に恵まれ、ご近所の方はもちろんのこと、遠方からもたくさんのお客様に通っていただけるようになりました。本当にありがたいことだと思っています。
「かえる整骨院」に来ていただいたお客様、近隣にお住まいのみなさま、やさしく接して頂き本当にありがとうございました。
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